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スタッフブログ

実はAIで書いてました。って知ってショックだった僕たちと、銀河鉄道999。

こんにちは、公認会計士・税理士の富村亮超です。

 

今日は最近、急激に盛り上がっている AI;DR(AIで書かれた文章は読まないというミーム)についてご紹介します。

AI;DRとは

元々は、TL;DR(Too Long;Didn’t Read)→長すぎて読む気がしねぇ という言葉でしたが

これがもじられて AI;DR(AI;Didn’t Read)→AIで書かれたものは読む気がしねぇ というフレーズになりました。

 

これには2つの要素があります。

①そもそも読みづらい→長かったり、冗長だったり、起伏が無かったり、品質を問う観点

②読みやすくても、嫌悪感がある→そもそも機械が書いた文章を読みたくないという生理的な観点

 

僕が最近ブログやメールを手で書くことにしているのは、主に②に対する僕なりのアンサーです。

 

ただ実際、①の品質問題として、AIでブログを下書きや清書していた時もなんか長くて読みづらいなという印象は我ながら受けていました。

再度自分で清書するので、だいぶ削ったりはしたのですが。AIは同じようなことを何回も書いたりするんですよね。

ご存じのように言い回しも少し独特ですから、なんとなくAIっぽいなという印象を受けた時点で

読む側の熱量が下がるんですよね。

 

つまるところ、AI生成のものは質が低いという直感がなんとなくあるせいなのか、AIっぽさを感じた時点で冷めるんですよね、、、

 

経済学の「レモン市場」

これは、結構他の文化でもかつて起こっていたような気がします。

かつて、テレビゲームというものがこの世に生まれたとき、作ったら売れるもんですから超クソゲーが跋扈しました。

当時は今のように、アマゾンレビューやレビューサイトも掲示板もSNSもありませんでしたから

1本5千円以上で販売されるゲームで、クソゲーをつかまされるということの避けようがなかったわけです。

経済学でいうところの「情報の非対称性」「レモン市場」として良い例です。

 

このままいくと、市場は「ゲームというものはクソゲーばっかりだ」と認識するようになり、市場が衰退します。

というか実際に1983年に北米で一度崩壊して、市場規模が数分の一に吹き飛びました。

それを任天堂が、内部レビューをめっちゃ厳しくすることで、「任天堂のゲームは買っても安心だ」というお墨付きを与えたわけです。

 

 AI;DRもかなりこれに近いことが起こっています。

 

エイベックス松浦会長AI問題

ここで、SNSを大きくにぎわしているムーブメントを一つご紹介します。

AIで提供される文章なりが、高品質であれば、私たちはそれ自体に何ら文句を言わないのです。

エイベックスの松浦会長がめちゃバズった記事を全部AIで書いていたと暴露(?)して話題になりましたが

ほとんどの人がそれに気づいていなかったわけです。

 

これは、よくある観測のバイアスの典型です。

「AIで生成されたものは品質が低い」→「品質が低いからAIだ」→「AIで生成されたものはすぐにわかる(自信満々)」

という認識をみんな持っていたわけです。

実際には、AIで作った高品質なものはAIが作ったと認識できないわけですから、我々の審美眼というのは総じて当てにならないわけです。

 

一方で、審美眼はあてにならないとしても、低品質なものを低品質だと認識することができることに疑いはありません。

現在、ゲーム黎明期とは比べ物にならないほど、世の中にはAIで作った低品質なものがあふれています。

いわゆるチラシ、店内POPのAI生成画像、はてはFAXまで

石を投げたらAI生成画像に当たるレベルです。

 

つまり、品質問題については

単純にAIを使う側の能力の問題(美しければ問題にならない)で起こっているので

誰でも高品質なものが作れるというレベルにAIがいくまではしばらく解決しないでしょう。

 

メーテルが機械だったら愛せないのか

一方で、人間の感情の問題は根が深いです。

松浦会長の記事に対しても「AIで書いてると知ると冷めるから言わないでほしかった」というコメントは散見されます。

この、「AIに感動させられたくない」という生理的な嫌悪は人間がどうしても抱いてしまう感情のように思います。

銀河鉄道999の、「メーテルは機械だったのか!?」という話の衝撃に似てます。

『銀河鉄道999』メーテルは機械だったんでしょうか? - 原作3巻22話... - Yahoo!知恵袋

(厳密にはメーテルは人間らしいのですが、機械人間を匂わせる描写が多々あり、読者をゆさぶりました。)

 

美しく生成されたAI文章はどれだけ美しく、冷静で、強く、優しくても、機械は機械。

いやむしろ、美しさも冷静さも、強さも優しさも、機械だったからこそなのだろうかと思わなくもない。

表出しているものが全く同じでも、中身が人間か機械かで、僕たちの印象がこんなにも変わるのは、僕たちがおかしいのだろうか。

 

僕たちが令和に抱く、このもの悲しさを銀河鉄道999は遥か昔に描いていました。

 

仮にメーテルが人間だったら愛せて、機械だったら愛せないのか。

銀河鉄道999機械伯爵の正体は?TVアニメ版と劇場版の違いは?時間城とは? - アニメダス~アニメとアニソンわくわくワールド~

名作「銀河鉄道999」

読み返せば、何か、現代につながるヒントが隠れているかもしれません。