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「やらない」が合理的。税理士業界は棚卸立会をなぜやらないのか?

こんにちは、公認会計士・税理士の富村亮超です。

今日は、棚卸立会がテーマです。


─ 棚卸立会から見る、業界均衡の設計論

監査法人にいた頃、棚卸立会は何より優先される仕事でした。時給10万円超のパートナーを丸1日拘束し、5拠点同時に会計士を派遣すれば1日で200万円のチャージが立つ──そんな手続きが「当然のこと」として組み込まれていました。

ところが、税理士業界に来て驚きました。誰もやらないのです。

最初こそ驚きましたが、業界の設計を読み解くと、ゲーム理論的に当然の帰結である、という話です。


1. 同じ手続き、価値ゼロ

棚卸資産の実在性と網羅性を確かめる手続き、それが棚卸立会です。期末日に倉庫や店舗に出向き、在庫が実際に存在することを目視確認し、数量を独立にカウントし、クライアント側の集計と照合します。

監査の世界では、棚卸資産に重要性がある場合、これをやっていない決算書は「決算書が全体として適正である」という「無限定適正意見」を提供できないとされています。

 

棚卸資産の実在性と網羅性、評価の妥当性は

監査業界「こんなん最早わかんないだろ」とJ1が思うランキング

堂々の第1位です。

 

ちなみに、個人的な第1位は、オルタナティブ投資の評価の妥当性です。あれ何?検証できるわけなくね?

 

話はそれましたが、しかし税理士業務では、棚卸立会は通常行われません。

当然、中小企業の決算でも棚卸資産は資産項目の中で重要な金額を占めることが多く、税務調査でも基本調査の重要ポイントです。

一見重要性は監査とそこまで大きく変わらないように思えます。

にもかかわらず、税理士はやらないのです。

これは怠慢でしょうか? たぶん違います。業界全体が「やらない」を選ぶのが合理的なだけです


2. ゲーム理論で見る「やらない均衡」

ある業界で、誰も特定の手続きをやっていないとします。あなただけが「やる」ことに切り替えたら、何が起きるでしょうか。

  • 立会の人件費を顧問料に上乗せできなければ、利益率が下がる
  • 上乗せすれば、競合より高い顧問料になり、新規受注が減る
  • やった結果「お墨付き」を与えてしまえば、その手続きに関する責任を背負う
  • やらなくても短期的なペナルティは発生しない

この状況で「やらない」を選ぶのは、各プレイヤーにとって最適反応です。

全員が「やらない」を選んでいるとき、誰も単独で「やる」に変えるインセンティブがありません。これがナッシュ均衡です。

ここで重要なのは、この均衡は「悪い均衡」ではない、ということです。社会全体としては別の補完装置が用意されており、それも含めて1つのシステムとして機能しています。


3. 「やらない」を支える6本の柱

業界がこの均衡から動かない理由は、相互に補強し合う6つの構造要因として整理できます。

(1) 責任構造の非対称性 監査人は「二重責任の原則」があるとはいえ、決算書への無限定適正意見については責任を負います。棚卸立会をせずに、その責任を負うのは事実上不可能です。

税理士は申告支援が役割で、棚卸の正確性は立会をしなかたっとしても基本的に納税者責任です。

(2) 経済合理性の断絶 監査報酬は年間数百万〜億単位。中小企業の税理士顧問料は月数万円。同じ手続きをやれば、税理士側は数ヶ月分の顧問料が原価で吹き飛びます。

(3) 検証主体の社会的分業 これは結構大きいと思うのですが、税理士がやらない代わりに、税務調査が事後検証します。期末棚卸は税務調査の重点項目で、調査官がその適正性を追及します。(追及って言ったってその当日に数えるわけじゃないのに、どうやって正しい在庫量出すわけ?とは思いますが)

税理士と税務調査の社会的分業として読むとスッキリします。

(4) オペレーション制約 3月・12月決算が集中する中、監査法人は数百人規模で同時派遣できるからこそ立会が機能します。中小事務所のスケール感では物理的に再現不能です。

(5) アサーション概念の不在 監査基準で当然視される「実在性」「網羅性」「評価」「期間帰属」というアサーション概念は、税理士の試験科目にありません。そもそも、かなり監査寄りの実務なので、棚卸立会自体にも高度な専門性が求められます。

(6) 逆インセンティブ これが面白いところです。仮に立会をやっても、別にクライアントは求めていないので顧問料を上げられず、むしろ「お墨付き」を与えた責任を背負い込みます。やればやるほど損をする設計が成立しています。


4. 「悪い均衡」ではなく「設計された均衡」

ここまで来ると、業界の温度差が「怠慢」や「文化遅れ」ではなく、社会全体で見たときに合理的に設計されたシステムとして理解できます。

  • 上場・大企業圏 → 監査法人によるリアルタイム監視(事前型コントロール)
  • 中小企業圏 → 税務調査による事後検証(事後型コントロール)

中小企業の棚卸を税理士がリアルタイム監視するコストは、社会全体で負担するには重すぎます。だから国税庁が事後検証で代替しているのです。一見「やっていない」ように見えますが、別のレイヤーで誰かがやっているわけです。


このように、ちゃんと整理していくと、棚卸立会をやる方がよほどトンチキなプレイヤーであることがわかります。

ただ、監査業界出身の人からすると、なんか気持ち悪いなぁと最初は思うんですよね。

しかし、適正な在庫管理がされていないことで、従業員不正が起こりうる状況を放置しているのはいただけません。

経営者にとっても是正のインセンティブが大きいので、在庫管理のアドバイスはバリューがあると思います。そういう部分でのアドバイスが上手なのは、会計士の強みかもしれませんね。