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富村将之ブログ

サロンパス事件

富村です。

うちの親父は体罰がひどくてしょっちゅう殴られていました。

中学1年生の時、バレーボールの部活でひどい筋肉痛になったのでトクホンシップだったかサロンパスだったかを貼って弟たちと寝ていたら、酔っぱらった親父が部屋に入ってきて「ん!湿布の匂いがする。誰や湿布貼ってるのは!」と言い出したので、「はい・・・」と答えたらいきなりほっぺたに一発張り手が来ました。そのあとも何発殴られたか何回蹴り飛ばされたか覚えていませんが、一度殴りだすと止まらないのが親父でした。

その時の言い分が「今から湿布貼ってたら、将来何貼るんや!」でした。

私には二人弟がいますが、一番下の弟は小学3年生の時そろばん塾をさぼって遊んでいたらしく、家に帰ったら怒られると思ったのでしょう、いつまでたっても帰ってきませんでした。夜8時になっても帰ってこないので、さすがにみんなで心配して友達の家に電話したり、帰宅途中の道を探しに出かけたりしました。なんせクマが出るような森の中の一軒家ですから、本当に心配でした。

私は弟が家のどこかに隠れているのではと思いあちこち探していましたが見つかりません。

当時うちの家には野沢菜をつける大きなプラスチックの樽がありました。

「まさか何ぼ何でもこんなところにはいないだろうな」と思いながら、樽のふたを開けたら・・・

発見!

弟が樽の中で丸まって寝ていました。

窒息死するやんか!

その後弟がぼこぼこに殴られたのは言うまでもありませんでした。

僕ら兄弟の間では親父の暴力を「百ピンタ」と呼んで恐れていました。

そのうち親父も素手でたたくのは痛くなったのかいつのころからか家のところどころには竹刀が置かれるようになりました。最後は木刀もあった記憶があります。

教育のため・・・確かにそうかもしれませんが暴力は親から子へ連鎖しやすいと大学の心理学の授業で習いました。

そのせいか私もカッとしやすい性格でしたので子供が小さいころは子供が悪さをしたときには、手が飛ぶ前にすぐに嫁を呼んで私の前から子供を連れ去るようにお願いしていました。おかげさまで今日まで子供に暴力を振るうことはなくこれたのは嫁のおかげだと思っています。

とはいえ親父も歳をとり、目が見えなくなり、今では穏便な性格になりました。孫にはとても優しいいいおじいちゃんです。殴られまくった思い出はつらい記憶の中に鮮明に残っていますが、それだけ子供に対する愛情も強かったのかもしれません。孫の顔が見えないのがかわいそうですが、今はただ長生きしてくれることを祈っています。

なんせ親父ですから・・・