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論考:なぜ、会社は「やめられるうち」にやめられないのか
はじめに ── ある素朴な疑問
こんにちは、公認会計士・税理士の富村亮超です。
最近とある出来事がきっかけで、私の中でずっと引っかかっていた問いが一気に言語化されました。
事業が傾き始めたとき、まだ債権者に返済できる段階で会社を清算すればいいのに、なぜほとんどの経営者はそうしないのか。
なぜ、会社が完全に立ち行かなくなるまで解散しないのか。
この問いを掘り下げていくと、日本の中小企業経営が抱える構造的な問題が見えてきました。本稿では、元銀行員であり、現在は公認会計士・税理士として中小企業の経営に伴走する立場から、この問題について考えてみたいと思います。
1. 帳簿上の純資産と清算価値のギャップ
「まだ債務超過じゃないから大丈夫」。経営者がそう考える気持ちはわかります。しかし、帳簿上の純資産がプラスであることと、今すぐ清算して債権者に全額返済できることは、まったく別の話です。
会社を清算するとなると、売掛金は回収率が下がります。在庫は叩き売りになります。固定資産は二束三文で処分するしかなく、のれんや繰延資産はゼロです。帳簿上の純資産がプラス1,000万円あっても、清算ベースで再評価したらマイナスだった、ということは決して珍しくありません。
つまり、「まだ返せるはず」と経営者が思っている時点で、実はもう清算では全額返せなくなっている可能性があります。これが、早期撤退を阻む最初の壁です。帳簿上のBSが「大丈夫」というシグナルを出し続けるために、本当の危機が見えないのです。
2. 銀行だけが見ている「もう一つのBS」
実は、この「清算したらいくら残るか」という計算を日常的にやっている組織があります。銀行です。
銀行では、融資先の決算書を受け取ると、銀行員が手作業で「実態補正」を行います。売掛金の滞留分を落とし、棚卸資産を処分価格に引き直し、不動産を時価に洗い替え、保険積立金を解約返戻金ベースに修正し、繰延資産をゼロにする。こうして算出された「実態ベース純資産」に基づいて、融資先の信用格付を行っています。
これは、いわば「今この会社を清算したら、貸したお金が返ってくるか」を評価する作業です。債権者である銀行にとっては当たり前の作業ですが、この数字が経営者自身に共有されることは、ほぼありません。
金を貸す側は冷静に清算ベースで見ているのに、借りる側にはその視点が一切共有されていない。この情報の非対称性が、問題の根源にあると私は考えています。
3. なぜ経営者は撤退判断ができないのか
3-1. サンクコストと正常性バイアス
「ここまでやってきたのに」「来月は持ち直すかもしれない」。経営者は自分の人生を賭けて事業を興しています。それだけに、サンクコストの呪縛と正常性バイアスは極めて強く働きます。傾き始めの段階では数字上まだ致命傷に見えないため、なおさら楽観的なシナリオにすがりがちです。
3-2. 「畳む」ことへの社会的スティグマ
日本には「一生一事業」という無言の前提があります。会社をやるというのは一生の仕事であり、暖簾を守り、代々続けるもの。その文化の中では、事業をたたむことは「人生の敗北」を意味します。
従業員の雇用、取引先との関係、家族の生活、地域での信用。「まだ返せるのに畳む」のは、周囲からは「逃げ」に見えるリスクがあります。特に日本では事業の失敗と人格の否定が結びつけられやすく、「倒産」と「自主廃業」の区別が世間的にはほとんどつきません。
3-3. 専門家へのアクセスの遅れ
本来は「傾き始め」の段階で弁護士や会計士に相談すべきです。しかし、相談すること自体が「負けを認めること」のように感じてしまう。結果、専門家のもとに相談に来るのは、手形が落ちない、税金を滞納している、リスケ交渉中といった、もう手遅れの段階です。
3-4. 延命させるインセンティブ構造
さらに問題なのは、経営者を取り巻く専門家の側にも「延命させるインセンティブ」が働いていることです。銀行は担保が取れるうちは貸す。コンサルは再建計画を書いて報酬を得る。士業は顧問契約が続く。全員が善意のつもりでも、構造的に「もう少し頑張りましょう」の側にいるのです。
PLの改善見込みを冷静に検証して「もうやめましょう」と言う人間には、お金が流れない仕組みになっています。
4. 「一緒に頑張りましょう」というアドバイス
「一緒に頑張りましょう」。この言葉は、経営者にとって何よりも心強い言葉に聞こえるかもしれません。しかし、その中身を冷静に分解してみてください。
PLが改善する根拠はない。しかし、最後の資産を担保に入れて銀行から融資を引っ張ってくる。損失を垂れ流し続け、最終的には自己破産。その後は生活保護。
これを「寄り添い」と呼べるでしょうか。
本当に経営者に寄り添うということは、耳の痛いことを数字で示して、撤退という選択肢を尊厳ある形で提示することではないでしょうか。自宅を残して、信用を残して、再起の余地を残して畳む。それこそが本当の「一緒に頑張りましょう」であるはずです。
5. モラルハザードの構造 ── ゲーム理論で見る「手遅れ」の正体
この問題は、ゲーム理論の枠組みで驚くほどきれいに説明できます。
5-1. ペイオフ構造の不可逆的な変化
清算ベースの自己資本がプラスの段階では、経営者には「続ける」と「畳む」の二つの選択肢があり、それぞれに異なるペイオフ(利得)が存在します。畳めば資産が残る。続ければ回復するかもしれないがゼロになるリスクもある。合理的な期待値の比較が可能です。
ところが、清算ベースで債務超過に転落し、もはや自己破産以外の選択肢がなくなった瞬間、このゲームの構造が根本的に変わります。
経営者のペイオフは「畳んでもゼロ、続けてもゼロ、でも続ければ万が一プラスになるかもしれない」になります。つまり、損失が自分に帰属しなくなった瞬間に、リスク選好が無限大に跳ね上がるのです。借金が3,000万円でも1億円でも、自己破産すれば結果は同じ。だったらダメ元でもう一勝負、と考える。これは、保険の文脈で語られるモラルハザードとまったく同じ構造です。
5-2. チキンゲームと囚人のジレンマ
債権者との関係を見ると、さらに複雑なゲーム構造が浮かび上がります。
経営者は「どうせ破産するなら最後まで走る」。銀行は「今引き揚げたら確定損になるから様子を見る」。お互いがブレーキを踏まないチキンゲームになっていて、両者とも合理的に行動した結果、最悪の均衡に落ちます。
また、経営者と債権者が協力して早期に清算すれば、両者にとってベターな結果になります。しかし、経営者は「もう少し粘りたい」、銀行は「うちだけ先に回収したい」と考えるので、協力均衡が成立しない。これは典型的な囚人のジレンマです。
5-3. 情報の非対称性がすべてを悪化させる
そして、これらすべてのゲームを悪化させているのが、情報の非対称性です。経営者は自社の状況を一番よく知っている。債権者には見えない。この非対称性があるから、経営者はまだ大丈夫なふりができるし、債権者は正確な判断ができない。
だからこそ、清算ベースの情報を関係者間で共有し、モラルハザードが発生するラインの手前で全員の意思決定を揃えるメカニズムが必要なのです。
6. 中小企業に「減損」の概念がない問題
上場企業には減損会計が義務付けられています。固定資産やのれんの収益力が低下したら、帳簿価額を引き下げる。事業の価値毀損を会計上で認識する仕組みです。
しかし、中小企業ではこの減損という概念がほぼ存在しません。中小会計要領も中小会計指針も減損を強制していませんし、税務上も減損損失は原則として損金不算入です。税理士にとってはやるインセンティブがゼロであり、結果として「やっても意味がない処理」として無視されています。
しかし、経済的な実態として減損が起きていないわけがありません。AIで市場が消失した、競合に顧客を奪われた、設備が陳腐化した。大企業で起きることが中小企業で起きないはずがなく、むしろ事業が単一で分散が効かない中小企業の方がインパクトは大きいのです。
さらに本質的な問題があります。大企業の減損は、固定資産やのれんといった個別の資産に対して行われます。しかし中小企業の場合、減損しているのは個々の資産ではなく、事業そのもの、もっと言えば会社の存在価値そのものです。
上場企業グループで言えば、親会社が子会社株式の減損を認識するレベルの話です。しかし、子会社側のBSには「自分の株式価値が下がった」ことを表す仕訳は存在しません。同様に、オーナー企業において「この会社自体の価値が毀損した」ことを帳簿上で表現する場所が、そもそも用意されていないのです。
ゴーイングコンサーン(継続企業の前提)で作られた会計フレームワークの中に、「この事業体自体の価値が下がっている」という情報を記録する仕組みがない。これが、帳簿上はずっと「大丈夫」に見え続ける根本的な原因です。
7. 継続企業の前提というパラドクス
ここまで読んで、「では継続企業の前提をやめればいいのか」と思われるかもしれません。しかし、話はそう単純ではありません。
継続企業の前提は、会計上の仮定である以上に、経済社会全体の信用基盤です。取引先も従業員も銀行も「この会社は続く」という前提で関係を結んでいます。「うちは常に清算を視野に入れています」と公言した瞬間に、その信用基盤が崩れます。誰も仕入れてくれないし、誰も入社しません。
つまり、出口戦略は「持つけど言えない」ものなのです。
しかし、経営者が「この事業は10年で賞味期限が来る。その時に従業員全員に退職金を払い、債権者に全額返済し、自分も資産を残して次に進む」と考えていたとしたら、それは極めて責任ある経営です。無計画に50年続けて最後に全員を巻き込んで倒産するより、よほど誠実ではないでしょうか。
出口戦略は「宣言」するものではなく、「静かに持っておく」もの。そして、それを支えるのが、清算ベースの自己資本を継続的にモニタリングする仕組みです。
8. 会計事務所は「かかりつけ医」になれるか
かつて、ある監査法人のトップが「監査は医療に近い」と言っていました。会社の悪いところを見つける。これは単なる比喩を超えて、構造的に正確な対応関係があると考えます。
8-1. 大企業の監査は大病院の精密検査
上場企業には会計監査が義務付けられ、減損テストもゴーイングコンサーンの注記も制度として組み込まれています。定期的に精密検査を受けて、問題があれば強制的に診断書が出る仕組みです。
8-2. 中小企業の税務顧問は町医者
中小企業には監査義務がありません。税理士は税務申告という「健康診断の一項目」を担っているに過ぎません。血圧は測るけれどCTは撮らない。数字は出すけれど実態ベースの診断はしない。それで「うちの先生に診てもらっているから大丈夫」と思っている経営者が多いのが現状です。
8-3. 予防医療が完全に欠落している
大病院の精密検査も町医者の健康診断も、基本的には「今の状態」を見ています。「このまま生活習慣を続けたら5年後にどうなるか」「いつ手術すべきか」「延命治療を続けるべきか、緩和ケアに切り替えるべきか」。その判断を支える仕組みが、中小企業の世界には存在していません。
医療の世界には「トリアージ」があります。限られたリソースの中で助かる患者を優先するという、残酷だけれど全体最適のための仕組みです。中小企業の世界にはこれがなく、助かる見込みのない会社にも全員が「頑張りましょう」と言い続けています。
さらに言えば、終末期医療の議論とも重なります。延命治療を続けるか、尊厳ある最期を選ぶか。本人の意思を尊重するために「リビングウィル」があります。会社にはそれがありません。経営者が元気なうちに「この数字を割ったら畳む」という意思表示を残しておく仕組みがあれば、いざというときに本人も周囲も正しい判断ができるのではないでしょうか。
9. AIが変える「清算ベース自己資本」の可視化
これまでこうした仕組みが存在しなかった理由は、技術的な制約でした。清算ベースの資産評価を毎月行うのは、人力では割に合いません。不動産の時価、売掛金の回収可能性、在庫の処分価値、業界の構造変化。すべてを人間が毎月アップデートするのは非現実的でした。
しかし、AIの登場によって状況は一変しています。
銀行の実態補正でやっていることは、実はパターン化された作業です。売掛金の滞留を見て回収不能分を落とす、棚卸資産を処分価格に引き直す、不動産を時価に洗い替える、保険積立金を解約返戻金ベースにする、繰延資産をゼロにする。項目は多いけれど、一つ一つは定型的な補正です。
しかも、会計事務所が持っている情報は銀行よりも圧倒的に多い。仕訳データの全件、得意先別の売掛金年齢表、在庫の品目別明細、固定資産台帳の個別明細、保険証券の情報。銀行員が決算書の表面から推測していることを、元データから直接計算できる立場にいます。
クラウド会計ソフトのAPIを通じてリアルタイムに月次データを取得し、公示地価や取引事例データベースから不動産時価を引き、業界動向を反映して将来予測を行う。技術的には、今すぐにでも実現可能な話です。
AIの時代だからこそ急がれる理由
AIの出現により、産業構造の変化スピードはかつてないほど加速しています。これまでビジネスモデルの賞味期限が10年20年あった業種でも、AIサービスの登場により半年で市場が消えるリスクがあります。年に一回の決算書を見て「まだ大丈夫ですね」という従来型の顧問スタイルでは、この変化のスピードにまったく追いつけません。
事業のボラティリティが上がっている前提に立てば、減損が起こる蓋然性は上がっており、しかも一部の勝者が総取りする傾向が強まっている以上、敗者の数の方が多い。特に中小企業においてはなおさらです。リアルタイムで清算ベースの自己資本を把握しておくことの重要性は、今後ますます高まるでしょう。
10. 撤退は社会正義である
ビジネスモデルが完全に崩壊し、将来の回復に合理的な根拠がない。そのような状況で事業を続けることは、傷口を広げるだけです。
延命すればするほど、仕入先への支払いが遅れ、従業員の給与が遅れ、銀行の債権が毀損し、税金や社会保険料まで滞納される。被害者は増え続け、最終的にはそのすべてのツケが社会全体に回ります。
一方、債務超過になる前に清算すれば、債権者には全額返済できます。従業員には退職金を払えます。経営者自身も信用情報を傷つけず、資産を残して次の人生に進めます。
早期撤退は、関係者全員の被害を最小化する行為です。それは「負け」ではなく、最後の、そして最も重要な経営判断です。
「やれるところまでやって、最後は自己破産すればいい」。そう考える、あるいはそう助言する人間がいるとすれば、それこそが問題の根幹であると、私は考えます。一回しかない人生で、分の悪いギャンブルを続ける必要はありません。
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おわりに ── 応援されない仕事、感謝される仕事
「撤退支援」は、おそらく誰からも応援されない仕事です。「清算請負人」と名乗れば詐欺師のようですし、「もうやめましょう」という助言は、少なくとも言われた瞬間には喜ばれません。
しかし、応援されなくても、感謝される仕事にはなり得ると思っています。救急医と同じです。呼ばれたくはないけれど、いなかったら困る存在。
私は元銀行員として、銀行が融資先に対してどのように信用格付を行い、どのように実態ベースの財務評価をしているかを知っています。そして現在は公認会計士・税理士として、中小企業の経営データに日々触れています。銀行が外側から推測していることを、内側のデータで直接計算できる立場にいます。
その経験を活かして、経営者が自分自身の会社の「本当の姿」を知り、必要なときに正しい判断ができる環境を整えていきたいと考えています。
清算ベースの自己資本を定期的に確認し、「この数字を割ったら畳む」というラインを事前に決めておく。いわば「会社のリビングウィル」を持つこと。それだけで、一人でも多くの経営者が、自己破産という最悪のシナリオを回避できるはずです。
撤退は負けではありません。次の人生に向けた、最も勇気ある経営判断だと、私は思います。
